坂下阿蘇神社の境内、神殿の東側にある末社若宮と並んでこの層塔があります。石造で、高さ1.7m。現在は二層になっていますが、もとは三重層塔であったと思われます。
紀年銘の正平11年(1356)は南北朝時代の南朝の年号で、北朝では延文元年に当たります。正平4年、足利直冬が肥後河尻に下った時、当時の豪族託麻宗直が直冬を助けたことから、同年足利尊氏は宗直を臼間野荘地頭職としました。宗直の配下となって7年その権威が行われていた当時、この地の住民たちは、この塔の基石に北朝の年号を使わず、「正平十一年」と堂々と彫っていました。即ち南朝方である意思表示とも見るべく、郷土史研究上、興味ある問題といえます。
■所在地
南関町大字下坂下88番地
指定年月日/指定数
平成11年3月5日/1基