この天部形立像は、四天王(多聞天・広目天・持国天・増長天)のうち二天が残ったのか、最初から二天として造られたかは不明です。また、顔面部を失っているのは、顔面部をいったん割り離して、玉眼を入れ、貼り付けてあったのが後世で失われたと考えられます。一木造による量感豊かな造型感覚や、一体の腹前に刻まれた獅噛(シカミ=獅子が噛みついた意匠のバックルの飾り)の彫技からみて鎌倉時代後期の作品と推定されました。
鎌倉時代に作られた仏像で、町内に現存するのはこの二体のみで、大変貴重なものです。
■所在地
南関町大字下坂下字山口
指定年月日/指定数
平成15年10月21日/2体