この2躯は傷んでいるものの、部分的に残る典雅な洗練された作風から、平安時代末期(12世紀前期)に活躍した定朝の流れをくむ仏師の作と考えられる。高さは現状で66.2cmで桧材・寄木像・漆箔や優れた衣文線の彫跡がわずかに残っている。 ■所在地 南関町大字関東2007番地2