1970年(昭和45年)
- 国勢調査 人口14,278人 世帯3,357戸
- 米の生産調整(減反・転作)始まる
- 第二小学校プール完成
- 南関町振興計画策定
- 過疎地域振興計画策定
- 玉名郡衛生施設組合事業(し尿処理場)開設
- 大牟田白金鉄工所が四ツ原に進出
- (株)熊本硅砂鉱業が下坂下に進出
- 田中義男育英基金及び敬老年金基金を設ける
- 坂下椎蚕共同飼育所完成
1971年(昭和46年)
- 町長選挙 石井了介(五代)
- 議会議員選挙(定数20人)
原口直・橋本博・戸上雄之輔・城門兵衛・嶋田才・林好喜・鷹羽義継・永松勉・前川俊行・古閑光吉・松尾キヌ・永杉港・福山正・猿渡節成・伊藤篤・斎藤康男・藤本八尺・植田剛・大塚義明・坂井築(順不同) - 北中学校プール完成
- 農業共済組合が南関町に移管される
- 中九州カントリークラブゴルフ場オープン
- 南関町農業振興地域整備計画策定
- 有明広域市町村圏計画策定
1972年(昭和47年)
- 九州縦貫高速自動車道(熊本~南関)開通
- 南関菊水三加和組合立ゴミ処理場新築
- 有明情報センターに事務委託(電算機処理)
- 南中学校プール完成
1973年(昭和48年)
- 南関養護学校開設
- 公営住宅 大津山団地12戸新設
- 有明消防組合南関分署新築落成
- 久重林道工事(1期工事)完成
- 第二期南関町振興計画策定
- 高砂興産(株)下坂下に進出
1974年(昭和49年)
- 第一保育園新築
- 第一小学校新築
- 公営住宅 大津山団地12戸新築
- 「老人憩の家」新築
- 南関警察署が玉名署に統合し、南関派出所となる
- 電電公社電話全自動化(加入者2,500戸)
- 国土調査法に基づき地籍調査を開始
- 久留米食鳥(株)南関工場が下坂下に進出
- 金剛コンクリート(株)が四ツ原に進出
- 明光(株)南関工場が上坂下に進出
1975年(昭和50年)
- 町長選挙 北原義正(六代)
- 議会議員選挙(定数20人)
猿渡節成・古閑光吉・多田隈強・福島儀平・井上勲・四力所良雄・吉良干城・西島忠・戸上雄之輔・永松鉄男・橋本義富・植田剛・作田敏治・松尾キヌ・石江武男・大塚義明・荒木剛・堀則義・永杉港・村上弥一(順不同) - 国勢調査 人口13,086人 世帯3,326戸
- 南関町体育協会発足
1976年(昭和51年)
- 第四小学校体育館新築
- 小林製作所(株)熊本工場が豊永に進出
- 南関町交通指導隊発足
- 公営住宅 大津山団地12戸新築
- 福祉スポーツ大会始まる
1977年(昭和52年)
- 町公民館新築落成
- 肥猪町、城ノ原官軍基地が県指定文化財へ
- 第三小学校体育館落成
- 民芸保存会発足
- 山鹿良之さん県文化功労者表彰
- 町長不信任議決に対して町長は町議会を解散
1978年(昭和53年)
- 議会議員選挙(定数18人)
阪井盛雄・植田剛・福田元紀・村上昭一・津田盛生・四力所良雄・上原武雄・猿渡節成・田中豊秋・井上勲・多田隈強・作田敏治・鷹羽義継・堀則義・古閑光吉・嶋田才・原賀喜楽・米田盛彦(順不同) - 町長不信任議決により町長失職
- 町長選挙 矢野幸雄(七代)
- 養護老人ホーム延寿荘改築
- 第三保育園改築
- 南関町駅伝大会始まる
- 石井了介さん県文化財保護功労者表彰
- 精神障害者家族会発足
1979年(昭和54年)
- 農村広場完成
- 農業就業改善センター完成
- 町民体育祭始まる
- 投書箱を町内5ヵ所に設置
- 7月豪雨により各地にツメ跡残す(死者2人)
- 熊日南関支局開局記念駅伝大会
- 町立養護学校開校